母のチョイねたきり日誌簿11/10の続き
今日は遠い昔のお話。
私の母は、20代で私を生んでくれました。しかし、幼稚園から小学生の記憶が、
あまりよろしくなく。1+1がでないときビンタがとんできました。
私は、これ、虐待じゃなねいと、思いながらすごしていました。
スイミングスクール行くのも、公文行くのも、全部親が決めてました。
だから親が絶対で、子は親の物でどうしようもない。状況でした。
煙草も両親ともにすぱすぱ受動喫煙で、私は、肺がんになるのかな~!
ゲームももちろん小学生4年までは、買ってくれませんでした。
買ってくれたのが奇跡でしたが、嬉しかったのがそれだけです。
中学生はいじめで行きませんでした、今、昔もですが。
いじめで、自殺する人たちがいますが、
無理に学校なんて行かなくていいんだよ。と言いたいです。
学歴なんてやる気さえあればいつでも取り戻せます。
私は、定時制高校で学歴を取り戻しました。
しかしながら、それが今の人生に全然生かされてはいないですが。
ただ、言いたいことは死ぬことを、選ぶよりもよりもっと、
楽しいことがあるよと言いたいです。
さあ、今日も迷走しはじめている。のですが、
母が、あんなに厳しかったのに、今は、おばあちゃんになちゃってるということです。
トドが今日もこちらを向いて餌をくれと。ぐーぐーと言っております。
勢いで言ちゃいますが。私は結婚したいのです、優しさだけじゃだめですよね。
トド付で一つ結婚が重いのならパートナーからでもよろしいので。
あら!やだ!気持ち悪いですね...↑
母は、後に残されるであろう子供たちの、心配しています。今日はここまで。